日本に感化・影響を与え続けた文化・文明先進地
現代の人たちが最も長崎らしいと感じる場所が「長崎市」だと言えます。鎖国時代にあっても、日本で唯一、オランダ、中国との交流を公式的に行い、日本の学問・文明・文化の先進地となった長崎市は、勝海舟や坂本龍馬など、新しい時代を切り開く先進性と行動力のある人財たちを魅了し続けてきました。
オランダ人居住地として整備された扇形の人口島「出島(でじま)」や中国居留地としての「唐人屋敷」の発達により、長崎は国を超えて文明・文化が融合した独自の文化圏を形成し、訪れる人財たちに感化・影響を与えていくようになります。
学問、その中でも医学においては顕著であり、日本近代医学の父と称されるシーボルトや、近代西洋医学教育の父と称され、長崎大学医学部のルーツにあたるポンペによる長崎での医学教育が、日本医学が近代化されるための人財たちを育て、今日の日本医学の礎となりました。
また、長崎で貿易会社グラバー商会を設立したグラバーが、龍馬が長崎で設立した亀山社中との間で西洋の武器の輸入を仲介したことで、薩摩藩や長州藩が幕府に対抗する勢力になったとも言われています。そのグラバーが長崎で自身の邸宅として築いた「グラバー園」は、現在も長崎市の有名な観光名所の1つとして知られています。
長崎市内から始まった食文化である「カステラ」「ちゃんぽん」「皿うどん」などは、西洋文化や中国文化と日本文化の融合がもたらしたものだと言えます。食文化を通し、さまざまな文化の融合を体感できるのも長崎市の大きな魅力の1つです。
画像=近代を切り開いたグラバーの邸宅だった「グラバー園」